小鳥遊ホシノに、細やかな幸福を
「うへへへ~、やっぱりおいしいな、お砂糖」
口に含むとホロホロと崩れていき、甘い味が口内に広がる。
とてもおいしい。
にんまりと顔をほころばせるホシノに、傍で見ていたミヤコはため息を吐いた。
「砂糖が入ったケーキに、砂糖で甘辛にしたチキン、さらにはアビドスサイダーですか。みごとに砂糖の大量に入った料理ばかり……よくもまあ飽きないものですね」
「飽きることなんてないねぇ、ミヤコちゃんも食べる?」
「結構です。要りません」
「わお、辛辣だねぇ。おじさん泣いちゃうよ~。シクシク」
「心にもないことを……」
声を上げて泣き真似をするホシノをミヤコは切って捨てた。
この程度の言葉に傷つくような柔い精神はしていないことは承知の上だ。
「だいたい、なんで私を呼んだりしたんです? しかも他の二人には内緒で」
「それはねぇ、おじさんが今日は誕生日だからさ」
「……は?」
ホシノの言葉に、ミヤコは目を丸くする。
「猶更わかりません。私に祝って欲しいとでも言いたいんですか?」
「いいや、ミヤコちゃんが祝ってくれるなんて思ってないよ~」
「じゃあどうして」
「ここはさ、『おめでとうございます』っていうところなんだよ。ミヤコちゃんさ、心の中でどんだけ怒りがぐつぐつ煮立っていても、それを表に出すのは考えた方がいいよ~。いずれRABBIT小隊で潜入任務とかだってやりたいんでしょ?」
「……おめでとう、ございます」
「う~ん、めっちゃ甘く見て及第点かなぁ。お砂糖だけに」
苦虫を嚙み潰したように祝辞を述べるミヤコに、ホシノはウマいこと言ったな、と自賛する。
「上手くやっていきたいのなら、形から入るのは大事だよ。言葉にしろ、歩き方にしろ、誰だって最初は誰かの物真似から始まるんだから。姿形を真似ると中身が入る。オカルトでも似たようなことがあるよね、髪が伸びる人形とか」
「……それで? 私にありがたい説教したいために呼んだと?」
「ミヤコちゃんには知っておいてもらおうと思ってね。小鳥遊ホシノは悪魔に見えているだろうけれど、普通に誕生日があるし、センチメンタルな気分になることもあるんだよ~」
「……では、反逆するのはメンタルが弱っているタイミングで決行することにします」
「おお、そうそう! それくらいの気概がないとね~」
面と向かって裏切ると言っているのに、ホシノは嬉しそうに頷いた。
まただ、とミヤコは眉を顰める。
素直に話を聞くよりも、こうして反抗した答えの方が彼女は喜ぶ。
マゾヒストなのかと疑惑が持ち上がってくるほどだ。
その割には訓練でボロボロになるまで痛めつけてくるので、サディストの面も覗かせてくるので厄介である。
「話は以上ですか。では失礼します」
「うん、お疲れ様~。しっかり休むといいよ。次はもう少し密度を上げた訓練するつもりだからね」
「……っ!?」
あれ以上に? と目を丸くするミヤコにヒラヒラと手を振り、ホシノは退出を促した。
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「やあ、いらっしゃい」
「うへぇ?」
腹も満たされ、甘い砂糖に包まれて微睡んでいたホシノに声がかかる。
「ああ、久しぶりだねぇ。セイアちゃん」
「誕生日と聞いてね。おめでとう。私からささやかながらお祝いを、と思ったのさ」
「そう? ありがとね」
「や、ホシノちゃん」
「……は?」
横合いから掛けられた声に、ホシノの目が見開かれる。
「久しぶり」
そこにいたのは、もう見ることができないと思っていたユメの姿だった。
ホシノと同じテーブルに座り、紅茶を傾けている。
「だ、誰……?」
「ユメだよ。忘れちゃったの? 悲しいな」
「ユメ、先輩……」
「誕生日だからね、来ちゃった。髪伸びたんだね」
そっと手を伸ばして髪を撫でつけようとした手を、ホシノは強く叩き落とした。
体勢が崩れたユメの頭にショットガンを当てて、ホシノは躊躇うことなく引き金を引いた。
「……フーッ! フーッ!」
全弾撃ち尽くし、カチカチと引き金が軽い音を立てる。
ゼロ距離から銃弾を浴びたユメは、霞のように消え去った。
「……脆すぎる」
肩を上下させ、荒い息を出すホシノに、傍らで見ていたセイアは小首を傾げた。
「おや、気に入らなかったかい? 姿は忠実に再現したと思ったのだけれど」
「確かに、顔も声も、気配もユメ先輩だと言っていた」
「ではなぜ?」
「でも私の魂がそれを否定しているんですよ!」
「なるほど、魂か。それは気付かなかったな。次からは参考にしよう」
「よくも私にユメ先輩を撃たせたな。夢魔風情が」
激昂し、口調まで変わるホシノ。
セイアを睨みつけながら、手元はよどみなくショットガンの弾倉を交換していた。
即座に撃てる状態になったホシノに、セイアは両手を上げて降参の構えを取った。
「勘違いしないで欲しい。私は悪意をもっての事ではなく、純粋に祝おうと思ってこうした。それが貴女の逆鱗に触れたことは私の予想外だった。謝罪する。ごめんなさい」
「…………まあいいでしょう。砂糖に侵された者が短慮になるのは身をもって知っています」
ぺこり、と頭を下げるセイアに、ホシノは渋々銃を収めた。
砂糖の快楽に浸食されたものは、砂糖の事しか考えられなくなるものが大半だ。
自らの思考を保った状態でいられるものは僅かであり、それでも砂糖によって視野が狭まり、近視眼的な考えになることも少なくない。
それにセイアが謝罪をしている以上、ホシノが撃つ理由は無くなってしまった。
もし謝罪が遅れ、ホシノが撃った場合、セイアは死んでいただろう。
神秘によってこの夢の空間を作っているとはいえ、ホシノの方が神秘は強いのだから。
「謝罪は受け取りました。祝いの言葉も、まあ受け取ります」
「感謝する。でもこれで返したとなっては、ホストの沽券に関わる。改めて何か用意するとしよう」
「……その気持ちだけで十分だよ~。それに、声が聞けたのは純粋に嬉しかったしねぇ」
口調が柔らかくなったホシノに、セイアもホッと胸を撫で下ろした。
人が亡くなったとき、初めに忘れるのは声だという。
彼女の死から2年。
人が忘れてしまうには十分な時間が過ぎ去っていた。
やり方は間違っていたが、それでもユメという少女の声をもう一度聞くことができたのは、ホシノにとっての幸いであった。
「そろそろ夢が覚める。私はお暇するとしよう」
「うん、またね~セイアちゃん」
セイアの姿が段々と薄くなる。
椅子も、テーブルも、紅茶も霧に紛れるようにボンヤリと輪郭を失っていき、逆にホシノは夢から現実へと徐々に覚醒していく。
――
――
――
――誕生日おめでとう、ホシノちゃん
「え……?」
ハッと顔を上げたホシノだったが、そこは見慣れたいつものアビドスの教室だった。
目の前には空になった料理の皿がそのまま放置されている。
「今のはいったい……」
耳元で囁かれた小さな声に、夢の続きか、もしくは砂糖による幻聴だったのかとホシノは納得した。
それでも、わずかに心が温かくなるのを、ホシノは抑えることはできなかった。
「ありがとう、ユメ先輩」